すでに私達は幸福だった!資本主義をハックする!山口周「ビジネスの未来」を要約

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【最新作】「ビジネスの未来」を世界一わかりやすく要約してみた【本要約】
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はじめに

『ビジネスはその歴史的使命を既に終えているのではないか?』

本日紹介する本はこの問いについて、真剣に考察したものになります。

現在社会は停滞期に入ったのではなく、安定期に入っているのです。むやみやたらに経済成長を求める必要はもうない。休んでいいんだ。生活に必要な物は全て手に入るこの世界で、私たちは何の為に働き何のために生きていくのか。

この安全で便利で快適なだけの世界から、真に豊かで生きるに値する社会へと変えていくことこそが、これから先の時代では大切なのだ。

私たちが生きている社会の根本を問いかけ、揺さぶってくれる本『ビジネスの未来』を紹介します。

私たちは今どこにいて、これからどのような未来を目指し、何をするべきなのかを知って考えるための一冊です。

ぜひこの記事で興味を持たれた方は、お手にとって読んでみてください。

私たちはすでに幸福になっている

今のこの世界は安全で便利で快適なだけの世界から、真に豊かで生きるに値する社会へと転換する必要に迫られています。

経済成長を続け、物質的に豊かになることに喜びを見出す時代は終わりました。

私たち人類はここ100年の間に素晴らしい進歩を成し遂げました。多くの国で平均寿命は倍以上に伸び、1人当たりGDPは2倍から数十倍に上昇しました。

中でもひときわ目を引くのが日本の跳躍です。日本の1人当たりのGDPは1800年の段階ではインドやパキスタンと同程度でしたが、2019年においてはフランスやイギリスとほぼ同程度で、その他の主要先進国と同程度にまで上昇したのです。

今の若い世代の方は実感しているかもしれませんが、生まれたときにはすでにモノが溢れ返っている環境で育ち、お金があまり無くても生活に困らないような社会で生きる現代人にとっては、物質的な豊かさを得るという目標がすでに行動原理にならなくなっていまうす。

経済成長とテクノロジーの力によって、『物質的貧困を社会からなくす』というミッションは既にクリアされつつあります。

NHK放送文化研究所が1973年以来5年ごとに実施している日本人の意識調査の生活満足度に関する回答において、2018年の結果は1973年と比べ個人生活・社会生活の両面において、物質的満足度が非常に高まっています。

私たちの社会は古代以来、常に物質的貧困という問題に悩まされ続けてきたのですが、この調査結果は大多数の人々にとってその問題がすでに解消されたことを示しています。

このような実感を社会の大多数の人々が得るようになったのは、人類の歴史上初めてのことです。

世界規模の生活満足度調査においても、1980年代と比較して2010年代は生活に高い満足度を感じている人が明らかに増加していました。

ただしそこには注意点もあります。

この30年で生活満足度の平均が上昇しているのは、もともと平均的に満足度を感じていた層が、より高い満足度を得たことを意味し、そもそも生活満足度が低かった層の満足度は停滞しているのです。

私たちの社会は『高い満足度を感じる人を大きく増やすこと』には成功したものの、『低い満足度を感じる人を大きく減らすこと』には失敗したのです。

つまり取り残されている人々がいる訳で、これは今私たちの社会が直面している大きな社会問題の1つです。

さて話を日本人の幸福度に戻しましょう。世界価値観調査の幸福度スコアに関し、日本は1981年から1984年と、そこから2010年の間に、以下の3つの大きな変化が起きています。

  1. 『とても幸福』と答えた人が15%から32%へ、倍以上に増えている。
  2. 『やや幸福』と『とても幸福』を合計した数値は、77%から86%へと増えている。
  3. 『幸福ではない』『まったく幸福ではない』を合計した数値が、16%から10%へと減少している。

要するに、総じて『幸福だ』と感じる人が増え、総じて『不幸だ』と感じる人が減ったのです。

しかしこの調査結果を聞いて、不思議に思う人もいるのではないでしょうか?

1981年から1984年と言えば、日本経済は絶頂期の前夜にあたる時期です。この時期以降、日本経済は1989年のバブル経済の頂上へ向けて駆け上っていくことになります。

そのような経済的に勢いのあった時期の幸福度や満足度のスコアが、経済的に停滞した今のスコアより明確に低いことを、私たちはどのように解釈すればいいんでしょうか。

過去30年に亘って経済は低調に推移しているのに、生活満足度や幸福度は大きく改善している事実が私たちに教えてくれることは何でしょうか?

それは『経済をこれ以上成長させることに、もはや大きな意味はない』ということです。

私たちは長年にわたる経済的成長の末に、『生存のための物質的基本条件の獲得』という人類が長いことを望んでいた夢を実現し、今や大多数の人が総じて幸福だと言える社会、おそらくはかつての人々がユートピアとして夢想したものに近い社会を築き上げました。

すでに私たちのほとんどは過去の人が思い描いた、食べ物に困らず、住む場所に困らず、安全で快適な暮らしを送ることができる理想郷で生活しています。

しかしそんな快適な暮らしを送っているにも関わらず私たちは何か物足りなさを感じ、日本の再生や日本の再興といった威勢の良い掛け声とともに、世界に向けて経済的存在感を示していたかつての国威を取り戻したいという『国家主義的なノスタルジー』に囚われてしまっているのかもしれません。

そのような主張は「経済的派遣で国の序列は決まるんだ」という昔ながらの価値観に縛られた考え方と呼べるのではないでしょうか。

しかしすでに経済的覇権を競い合うフェーズは終わり、いかに人類全体が共生し、幸せになるかを考える段階に来ています。

私たちの社会が依然として看過できない様々な問題を抱えていることは確かですが、多くの調査結果が私たちの社会が着実に明るく幸福な世界へと近づいていることを示しています。

私たちの社会は停滞の暗い谷間へと向かっているのではなく、成熟した明るい高原へと向かっていて、その立場に立って考えるならばビジネスはもうその歴史的使命を終えていると言えるのです。

パナソニックの創業者である松下幸之助は、松下電器の創業にあたりビジネスの使命を『生活物資を無尽蔵に提供して、貧を除くことだ」とを宣言しています。

つまり、8〜9割の人々が物質的に満足してしまっている現在の日本において、パナソニックはその社会的使命を達成し終えたといえるかもしれません。

これは日本に限った状況ではなく、様々な統計データが示す通り21世紀の先進国に生きる人々の大多数は、すでに物質的な不満を抱えずに生きることができます。

その結果、『消費の非物質化』という変化が起きています。

経済成長と所得上昇が何よりも優先された近代社会から、生活の質や幸福実感がより優先されるポスト近代社会へと私たちは移行しつつあります。

例えば昔はカラーテレビ・クーラー・自動車が、さらに前は白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫が三種の神器として扱われていました。

これらは豊かさや憧れの象徴であり、こういった生活を豊かにするものにお金を使うために仕事を頑張って所得を上げるのが当然でした。

しかし今はほとんどの家庭にテレビはあり、エアコンもあります。さらにはみんながスマホを持ち、何不自由ない暮らしができています。

このように物質的欲求に関する不満の解消を果たした私たちは、消費の対象として『生活必需品ではないもの』や『承認欲求』のためにお金を使うようになっています。

私達がもうお金を使う必要がないほどに豊かな生活が出来ているのに、お金を使ってしまうのはなぜか?

その原因は企業の行っている『マーケティング』にあります。

そもそも国民のほとんどに生活必需品が行き渡っていない状態であれば、あなたがその生活必需品を売れば、マーケティリングをする必要もなく商品は売れていきます。

しかし今の『物質的欲求に関する不満が解消されてしまった世界』で、何もせずに商品が売れていくことはありません。

物質的欲求に関する不満の解消は市場における需要の縮小を意味しますから、ビジネスにとっては大変困ったことが起きているのです。

本来であれば物質的欲求に関する不満の解消は素晴らしいことで、ビジネスはそれを目指すものだったはずです。

しかしこの物質的欲求に関する不安が解消されたのと同時に、ビジネスはその存在意義を失ってしまいました。

そこで歴史的使命がすでに終了しているにも関わらず、あたかもそれが終了していないかのように振る舞って延命を図り、要らぬ混乱を世の中に巻き起こしているのがマーケティングなのです。

『本来であれば需要がなかったところに需要を創り出す』『消費者が気がついていない不満をあぶり出して解消する』といった方法でなければ、ビジネスは延命できなくなっています。

実際1970年代において広告代理店の電通で、マーケティング戦略立案のために用いられていた戦略十訓は次の内容で構成されています。

  1. もっと使わせろ
  2. 捨てさせろ
  3. 無駄使いさせろ
  4. 季節を忘れさせろ
  5. 贈り物をさせろ
  6. 組み合わせで買わせろ
  7. きっかけを投じろ
  8. 流行遅れにさせろ
  9. 気安く買わせろ
  10. 混乱を作り出せ

これでは『需要の飽和』は先送りできても、私たちの生活が豊かになるとか幸福になるといったことには繋がりません。

そして『ビジネスが欺瞞によって成り立っている』という構造に多くの人が気づいてきています。

その意味も意義も感じられない営みに駆り立てられて、「高い目標を達成せよ」と圧力をかけられた人は精神的に壊れていきます。

戦後復興期の日本人には「私たち1人1人の仕事が国を豊かにしていくんだ!私たちが国を支えているんだ!」という思いがありましたが、今の皆さんの仕事に意味や意義はありますでしょうか?

自分がしている日々の生活に意味が見出せなくなったとき、人は生きていくことができなくなってしなのです。

WHOは2017年、世界的に増加傾向にあるうつ病が21世紀中に先進国で最も深刻な疾患の1つになる可能性を警告しました。

私たち人間は『意味』をエネルギーにして生きているので、意味も意義も感じられない営みに携わって生きることはできません。

私たちの社会が今後大きな危機を迎えることになるとすれば、それは経済的な衰退や物質的不足ではなく、間違いなく『意味の喪失』という問題によって引き起こされるでしょう。

物質的不足を解消するという目標を達成してしまった今、その価値観自体が失われてしまったからこそ、私たちは新たな価値観を真剣に考える時期に来ているといえるのです。

『意味の喪失』という問題は、19世紀の哲学者ニーチェによってすでに予言されていました。

ニーチェは近代化によって物質的豊かさを獲得した人々が、『意味の喪失』という状況に陥ることを当時から予言していたのです。

ニーチェが生きた時代では、物質的豊かさが増していき『宗教』という規範の解体が進んだことで、人々が「神のために生きる」という意味が失われました。

今の私たちに置き換えると「国の復興のために」とか「家族の生活のために」といったものが失われつつあるということでしょう。

  1. 私たちの社会は常に物質的貧困という問題に苛まれ続けてきたが、大多数の人々にとってその問題は解消されている。
  2. 過去30年に渡って経済は全般に低調に推移しているのに、生活満足度や幸福度は大きく改善している。
  3. すでに「経済成長が私たちを幸せにしてくれる」というフェイズは終了しており、新たな価値観を模索する時代に突入している。

人間が人間らしく生きるとはどういうことなのか

ここでは人間が人間らしく生きるとはどういうことか、何のために人は生きるのか、これから私たちは何を目指して進んでいけばいいのか、というテーマについて話を進めていきましょう。

まず GDP というよくニュースで耳にする数値に潜む罠についてお話します。

皆さん『GDP が大きい国』と言われると、どんなイメージを持ちますか?

なんとなく大国であるとか、栄えている国であるといったイメージをお持ちではないでしょうか?

GDP は国内総生産のことで、国内で生産された物やサービスの総額で経済の規模を表すモノサシです。

つまりGDP が大きい国は経済の規模がそれだけ大きく、国として繁栄していることを表していると習ってきたと思いますが、本当にそうでしょうか?

そもそも GDP は100年ほど前のアメリカで『世界恐慌下において、社会経済の状況を全体として把握する』という目的のために開発されたものです。

当時のアメリカの大統領ハーバート・フーヴァーには「大恐慌をなんとかする」という大義がありましたが、手元にある数字は株価や鉄などの産業財の価格といった断片的な数字だけで、政策立案の立脚点となるようなデータが未整備だったのです。

議会はこの状況に対応するために「アメリカは今どのくらい多くのものを作ることができるか」という論点について調査を依頼します。

数年後議会に提出された報告書には、現在の私たちが GDP と呼ぶようになる概念の基本形が提示されていました。

つまり測りたい問題が先にあった上で、測るための指標が後で導入されたのです。

100年も前のアメリカで社会経済の状況全体として把握する目的のために作られた指標が「今」停滞しているからといって、一体何の問題があるのでしょうか?GDPの数値を上げて、いったい何になるのでしょうか?

どのくらい多くのものを作ることができるかという測定は、当時は意味があったのかもしれません。しかし少なくとも先進国においては、この物質的な不足という問題はすでに解決しています。

すでに物質が行き渡った社会において、『どれだけのものを作り出したのか』という指標を高い水準に保とうとすれば、それは必然的に浪費や贅沢を促進し、モノを捨てることが美徳として礼賛される社会を生み出すことにつながります。

そのような社会を私たちは本当に望んでいるのでしょうか?

10年ほど前に中国に GDP で抜かれてしまったニュースが話題になりました。しかし、抜かれたからといって抜き返す必要などないのかもしれません。

どれだけモノを作り出したのかで国力を測る時代はもう終わったのです。

それでは私たちはこれから何を目標に、何のために生きていけばいいのでしょうか?

世界経済フォーラムは2021年1月に開催される年次総会のテーマを「ザ・グレート・リセット」にすると発表しました。

世界経済フォーラムを創設したクラウス・シュワブ会長は、このリセットが意味するものについて次のように答えています。

「世界の社会経済システムを考え直さないといけない。第二次世界対戦後から続くシステムは、異なる立場の人を包み込めず環境破壊も引き起こしている。持続性に乏しく、もはや時代遅れとなった。人々の幸福を中心とした経済に考え直すべきだ。」

第二次世界大戦後から続くシステムとは、無限の成長を前提とするシステムのことです。

しかし現在の私たちはもう気づいているように、世界経済全体が無限に成長していくことはありえず、成長は必ず停滞・衰退を迎えます。

『成長こそが目的だ』と突き進んでいくことは、環境破壊を引き起こし人を幸せにするものとは言えないのです。

私たちの社会が今向かっているのは停滞の暗い谷間などではなく明るく風通しの良い高原であり、それこそが人々の幸福を中心とした経済なのです。

シュワブ会長は記者の「リセット後の資本主義はどうなりますか?」という質問に対し、「資本主義という表現はもはや適切ではない。金融緩和でマネーがあふれ資本の意味は薄れた。今や成功を導くのはイノベーションを起こす起業家精神や才能で、むしろ才能主義と呼びたい。」と述べました。

様々な書籍でも述べられていることですが、今まさに資本主義からの脱却が行われているのかもしれません。

資本主義は『資本は無限に増殖すること』を信じて奉る一種の信仰です。

資本がもはや過剰になり増殖できなくなった以上、この信仰はもはや維持できなくなったとシュワブ会長は言っているわけです。

なぜ資本は無限に増殖することができなくなってしまったのでしょうか?

それは先進国の金利がほとんどゼロに近い水準まで落ち込んでしまったことが理由です。

例えば銀行の預金金利がプラスであれば、お金を預けていれば無限に増えていきます。なぜただお金を預けているだけでお金が増えていくのかというと、社会が時間を経ることで上昇・成長・拡大するという期待があるからです。

時間によって資本の価値が増殖することを前提にして、私達の社会は構築されているわけです。

では金利がゼロに近づいているということは、何を意味するのでしょうか?

お金を預けていてもお金が増えることはない、つまり社会が時間を経ることで上昇・成長・拡大すると期待できなくなっていることを意味します。

時間によって資本の価値が増殖するという前提が崩れされば、資本は無限に増殖するという資本主義の根本も崩れ去ります

今まさに私たちはそんな世界の中に生きているのです。

だからこそ資本主義の根底が揺らいでいる今、資本主義や経済成長を信仰し続けることは『神が死んだ世界で神を信仰し続けること』と何ら変わりありません。

経済発展のために私たち人間が持っている個性や才能を投じるという考え方は、もうすでに時代錯誤になりつつあります。

シュワブ会長が語る『資本主義から才能主義への転換』とは、経済発展だけをいたずらに目指すのではなく、よりよい社会の実現のために私たち人間の持っている才能や時間という資源を投入するべきだというアイデアなのです。

「より良い社会とは何なのか」を真剣に考えることが、まず私たちがするべき最初の課題です。

真に問題なのは「経済成長しないこと」ではなく、「経済以外の何を成長させればいいのか分からない」という社会構想力のまずさであり、さらに言えば経済成長しない状態を豊かに生きることができない私たちの心の貧しさなのです。

「私達は何のために生きるのか」という目標と価値観を新たに見つけることが、今私たちが生きている意味と言えるのかもしれません。

  1. GDPは100年ほど前のアメリカで作られた『どれくらい多くのものを作ることができるか』という指標であり、すでに物質が行き渡った社会において、この指標を追い求めることに何の意味があるのかを考えなくてはならない。
  2. 『時間によって資本の価値が増殖する』という前提が崩れつつある今、私たちは資本主義を見つめ直す必要がある。
  3. 真に問題なのは、経済成長しない状態を豊かに生きることができない私たちの心の貧しさである。私たち個人の価値観はもちろん、社会全体としての価値観を考えることが今まさに必要とされている。

経済合理性では解決できない問題

もしあなたが事業を始めるとして、『需要が多く費用がかからない問題』と『需要が少なく費用がかかる問題』のどちらを解決するような事業を始めるでしょうか?

多くの人は『需要が多く費用がかからない問題』を選ぶと思います。

お金を稼ぐ必要がある以上、『問題解決にかかるための費用』と『問題解決で得られる利益』が均衡する採算ラインが存在し、費用が多く掛かる問題には誰も取り組みません。

普遍性の低い問題や難易度が高い問題を、誰も解決しようとしないことに市場原理主義の限界があります。

例えばこれまで安全で快適に生きるための物質的基盤の整備は、ほぼ完了したと語ってきましたが、ここでわざわざ『ほぼ』という副詞を用いたのは、取り残された人たちが存在しているからです。

国立社会保障・人口問題研究所による2017年の調査によれば、過去1年以内に経済的理由で食品が購入できず困窮した経験を持つ世帯は13.6%となっています。

毎日の食事は最優先とされるべき物質的基盤ですが、そのような欲求を経済的理由で充足できない状況にある人々がいるのです。

子供の貧困問題についても同様です。現在わが国の子供の貧困率がOECD諸国で最悪の数値となっており、さらに明確な悪化トレンドにあることをご存知でしょうか?

子供の相対的貧困率は、1985年の10.9%から2015年には13.9%へと悪化しています。

また罹患する人が極めて少ない病気である『希少疾病』という問題もあり、このような問題に取り組んでも株主が喜ぶような大きな売上や利益は期待できない可能性が高く、市場原理主義の立場ではこういった問題に取り組む企業は出てきません。

このように置き去りの人々が出てきてしまうことが、資本主義の最大の問題点と言えるのではないでしょうか。

経済合理性だけに頼ったのでは解決することのできない問題が、ずっと残存し続けているこの現状から目を背けてはならないのです。

サン・テグジュペリは人間の条件を、「己に関わりのないと思われていたある悲惨さを前にして恥を知ること」としれいます。

もし私たちが経済合理性を理由にして、社会に残存する格差や貧困、虐待といった悲惨さを放置せざるを得ないのだとすれば、もはや私たちは人間性を備えた存在ではありません。

これから先、私たちは金銭的奉仕を超えた価値観を身に付ける必要があるのです。それは衝動といってもいいでしょう。衝動とはつまり「そうせざるにはいられない」という強い気持ちのことです。

「損得計算を勘定に入ればやってられないよ」という問題を解決せるために、経済合理性を超えた衝動が必要になります。

現在の世界が抱えている根深い問題の多くは、そのような衝動によって自己を駆動する人によってしか解決することができません。

「自分が損したって助けたい人を助けるんだ」という思いがなければ、これらの問題は解決できないのです。

しかしそうは言っても、自分の生活を犠牲にして人助けができるような人は多くはありません。

心の中では助けたいと思っていても、自分の生活すら思うようにいかない状況で他人を助けることなんてできません。

だからこそ社会はそういった騒動に突き動かされた人々の生活を守り活動を促進するために、ベーシックインカムのような経済的セキュリティネットを整備する必要も出てきます。

改めて誰も置き去りにしない社会を作るために、私たちはこれからどう生きていくべきかを考える必要があるのです。

  1. 市場原理主義の問題点は、普遍性の低い問題や難易度の高い問題が未着手のまま放置されることが挙げられる。
  2. 経済合理性では解決できない問題を解決するのは、「助けたい」と思う人の衝動である。
  3. 衝動に突き動かされた人々の生活を守り活動を促進するために、べーシップインカムのような経済的セキュリティネットの実装を行う必要も出てくる。

終わりに

さていかがだったでしょうか?オードリー・タンさんの著書でも語られていましたが、誰も置き去りにしない社会を築いていくのは、これから先の社会を生きていくうえで欠かせない考え方です。

ベーシックインカムに対する見方も、こういった視点で考えるとまた違ったものになるのではないでしょうか?

多くの人が何不自由なく生活できるようになった社会の中で、『取り残された人たち』について考える必要があります。

人類全体が誰一人欠けることなく幸福になれるという夢物語に思えるような社会を、今まさに私たちは作ることができるところまで来ているのかもしれません。

誰かを置き去りにするような社会をつくってきたのは、まぎれもない私たちです。

そしてその問題を解決するのもまた私たちであるということを肝に銘じ、これからを生きていきましょう。

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