世界の秘密は全て解けてしまった。橘玲「不愉快なことには理由がある」を要約してみた

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はじめに

文明は驚くほどの進歩を遂げたので、解決できる問題のあらかたは解決されてしまった。

だとすれば今残っているのは、問題の解決が新たな問題を生むような厄介なものばかりであろう。

不愉快なことには、すべて理由があるのだ。

今回は橘玲さんの「不愉快なことには理由がある」を要約していきたいと思います。

さてこの本の基本的なアイディアは、日本のあらゆる問題を「進化論」の視点から考えてみようというものです。

テレビや新聞などのメディアでは、日々様々な日本の問題について、様々な人が議論を行っています。

すでに多くの人が議論をしているわけだから、新たにそこに同じような議論を一つ加えても何の意味もありません。

そこで橘さんは「進化論」という知見から、マスメディアとは異なる視点を提供しようという目的で本書を書かれたそうです。

本書の優れた点は、政治や経済社会の出来事など今起こっている問題について、「感情論」ではなく「進化論」という「科学」を持ち込んで分析しているという点にあります。

世の中で起こっている問題について、科学的に考えている人や本は少ないと思うので、本書を読んで今までになかった新しい視点に感動することが多々ありました。

その気付きと驚きと学びを、皆さんにシェアさせていただければと思っております。

世界の秘密は全て解けてしまった

皆さん、私たちの感情は、幸福や悲しみ、憎しみや歓喜、絶望までも、すべて科学的に説明できると言われたらどう思うでしょうか。

政治や経済、独裁や戦争まで、この世界で起きているすべてのことは、その理由が解明されていたとしたらどうでしょうか。

あるいは社会学や経済学だけではなく、心理学や哲学に至るまで、人文社会科学と呼ばれていた学問は、全て科学の統一原理によってまとめられることを知っていますか。

何をSFみたいな話をしているんだと思うかもしれませんが、これはSFの世界の話ではありません。

すべて現実に起きていることなのです。

より正確に言うならば、「心とは何か」が科学によって解明できるようになってきたということです。

もちろん今言った事を、あなたは簡単には信じることができないでしょう。

グーテンベルクの印刷機やニュートンの万有引力の法則、アインシュタインの相対性理論など、私たちの生活や世界の見方を根本から変えてしまうような発明や発見というのはいくつもあります。

これを「パラダイム転換」といいますが、その中で最大の発見のひとつが、チャールズ・ダーウィンの「進化論」です。

進化論というのは、子孫を残すことに成功したい遺伝子が、次世代に引き継がれるという理論です。

これをもっと簡単に言うならば、「生き残った者が生き残る」というだけのことなので、ダーウィンの「種の起源」を読んだ当時の知識人たちが、「なんでこんなことに気づかなかったのか」と愕然としたのもよく分かります。

その後、進化論というのは個体だけではなく、社会や文明も進化していくという「社会進化論」に拡張され、それが人種差別を正当化する「優生思想」をナチスによるユダヤ人虐殺につながったとの反省から、進化論は厳しい批判にさらされました。

現代の進化論は、そうした批判に一つ一つ科学的に答えていくことで、鍛えられていったのです。

1970年代に、進化論は生物学や遺伝学、ゲーム理論などの最新研究結果を取り入れた「進化生物学」になり、90年代には進化によって人の感情や心を説明しようとする「進化心理学」へと発展したのです。

こうした現代の進化論の成果を大衆に広めたのが、イギリスの動物行動学者リチャード・ドーキンスです。

ドーキンスは、進化するのは遺伝子で、生物は遺伝子の単なる乗り物に過ぎないと説いたのです。

もちろんこれは遺伝子に進化への意志があるわけではなく、生き残った者が生き残るという単純な原理によって、より環境に適した遺伝子プログラムが次世代に引き継がれるというだけのことです。

そして進化心理学では、キリンの首が長くなるような身体的特徴だけではなく、人間の心や感情といったものも、より多くの子孫を残すように進化してきたと考えます。

しかし、これは奇異な主張をしているわけではありません。

例えば母親の子どもへの愛情を考えてみましょう。

「子供を愛さない」遺伝的プログラムが突然変異で現れたとしても、このプログラムを搭載した個体は子供を育てることができませんから、その遺伝子は次世代に引き継がれることなく、途絶えてしまいます。

それに対して、子供に対する愛情が強いほど多くの子孫を残せるとしたら、長い進化の過程で母親の愛情というものは徐々に強化されていくに違いありません。

大富豪はマサイ族より少しだけ幸せ

次は進化論的に見た「幸福」についてのお話です。

私たちの抱える生き辛さを、進化心理学は「石器時代の脳が、現代文明に適用できないからである」と説明します。

石器時代の人々が幸福だったかどうかまでは分かりませんが、アフリカのマサイ族の人生の満足度を調べると、豪邸やプライベートジェットなど望むものをすべて手に入れたアメリカの大富豪と「ほとんど変わらない」ということが判明しました。

石器時代の人間は、狩猟と採取で食料を得ながら、家族を中心とする数十人の共同体で暮らしていました。

彼らにとっては共同体に所属していることが生きる術で、仲間外れにされてしまえば死が待っているのです。

このような環境が400万年も続けば、利己的な遺伝子のプログラムは、共同体から排除されることを恐れるように進化していくはずです。

共同体から排除されたら死んでしまうんだから、「共同体が大事である」という考え方が脳に刻まれるのは当たり前のことです。

それに対して古代エジプトやメソポタミア文明が発祥して「貨幣」が使われるようになってから、まだわずか5000年しか経っていないのです。

私たちはもともと「貨幣」の多い少ないと、「幸福感」が直結するようにはできていないのです。

それならば人はなぜこんなにも「貨幣」を欲するのでしょうか。

進化論的には貨幣の起源は、「お互いに利益を与えること」にあります。

人やチンパンジーだけではなく、吸血コウモリでさえ親切にされた相手を覚えておいて「お返し」をすることが知られています。

吸血コウモリは空腹が続くとすぐに死んでしまうので、飢えたコウモリは満腹のコウモリの胃の中の血を譲ってもらうのです。

コウモリでさえも親切のやり取りを覚えています。

つまり「貨幣」とは、「親切」と「お返し」のやり取りを見えるようにしたものです。

貨幣が相手に対するお返しの証明なら、共同体の中でより多くの貨幣を持つ者が権力者になるのは当然です。

古今東西を問わず権力者によるハーレムが見られるように、人は一夫一婦制を基本としつつも、容易に一夫多妻制に移行しますから、貨幣の獲得はより多くの子孫を残すことにつながるのです。

しかし、現代の先進国では一夫多妻は法で禁じられており、大富豪でも妾を囲うことは不道徳として社会的な批判の対象になります。

またアメリカの富裕層を調査すると、どこも子育てや離婚、贅沢なライフスタイルを維持するために膨れ上がる家計支出などのトラブルに悩んでいて、資産100万ドル以上の層の10%が、「資産は問題を解決するよりも、むしろ問題を増やしている」と考えております。

だとすれば幸福を手に入れるのはものすごく簡単です。

資産1000億円以上になれる確率はほとんどゼロですが、マサイ族のような自給自足の暮らしなら明日にでも始められるからです。

しかし、残念ながらこの方法もうまくはいかないでしょう。

それは幸福は「相対的なもの」だからです。

マサイ族のような濃密な共同体で幸福度が高いのは、他のマサイ族も自分とほとんど同じ暮らしをしているからなのです。

そこでは自由や自立はもちろん、個人という概念すらなく、人はただ親や共同体から与えられた役割を果たし、子供を産み育て死んでいくだけです。

その代償として共同体から強い承認が与えられるとしても、そのような社会で今更暮らしたいと願う人はほとんどいないでしょう。

ある幸福度調査では、この世の中で最も不幸なのは、ロサンゼルスなどの大都市のホームレスで、インドのスラム街で暮らす貧しい人たちよりも、人生の幸福度が遥かに低いということが分かっております。

スラムには人々の強いつながりである「共同体」があるのですが、都市の段ボールハウスに住む人たちは互いに孤立し、他者からの承認を得る機会などありません。

東京やロサンゼルスなど豊かな都市の中で、自分だけ貧しいというのは計り知れない絶望なのです。

よくお金で幸せは買えないなんて言われますが、それは進化論的にも説明可能なものであり、生き延びるためにはお金じゃなくて人との繋がりや共同体といったものが、私たちにとっては昔は重要だったわけです。

現代においても、人間関係や温かい人との繋がりといったものでしか、私たちは幸せを感じることができません。

いくら100億円を持っていたとしても、無人島で一人で暮らしている状態なら幸福なんて感じられるわけがありません。

無人島で一人で「俺は金持ちだ」と叫んだところで、満足感なんて得られるわけがありません。

周りとの繋がりがあってこそ、幸福を感じられるわけです。

確かにお金は幸せになるために必要であり、食べ物がないとか明日の家賃が払えないといった不安は私たちを簡単に不幸にしてしまいます。

しかし最低限の生活インフラが整ってしまえば、お金は幸せになるための必要条件でしかなく、人間関係や濃密な共同体といった繋がりこそが、幸せになるための十分条件なのです。

どれだけ修行しても煩悩は捨てられない

進化心理学というのは超強力な説明原理なので、心の問題を一刀両断に解明してしまいます。

次は「修行によって煩悩・欲望は捨てられるのか」という問題です。

仏教では修行による解脱、すなわち煩悩からの解放を説きますが、果たしてそんなことが可能なのかを進化心理学で検証していきましょう。

眠っているとき以外、人はいつもあれこれ思い悩んで暮らしております。

実は私たちは、人生の大半を「シュミレーション」に費やしているのです。

「シュミレーション」とは、ある仮説を立ててその現実の結果を模擬実験などで予想することです。

例えば学校に行けば、好きな女の子の後ろ姿を見て「誕生日にプレゼントを渡したら受け取ってもらえるだろうか」と悩みます。

そして会社では「新商品をいくらで販売したらライバルに勝てるか」を何時間も議論します。

家庭では、生まれたばかりの赤ん坊を眺めながら「この子にはどんな未来が待っているのだろうか」と夫婦で語り合います。

これらはすべて「シュミレーション」で、なぜを私たちがいつも思い悩んでばかりいるのかというと、新しい事態に遭遇すると「心」というシュミレーション装置が、無意識に動き始めるからです。

ところで、人はなぜ「心」などという奇妙な能力を獲得したのでしょうか。

それは利己的な遺伝子の存在にとって有利だからであり、つまり、生き延びて遺伝子を残すのに有利だったからです。

チンパンジーは人と同じ社会的な動物で、その生態を観察するとシュミュレーション装置である「心」を持っていることが分かります。

群れを統率するのは「アルファオス」と呼ばれる第1順位のオスですが、すべてのメスを独占しているわけではなく、下位のオスにも生殖の機会は与えられています。

しかし、交尾には上位のオスの「暗黙の了解」が必要で、暗黙の了解がなければこっそり不倫するしかありません。

そのためチンパンジーはメスと交尾する際、上位オスの「暗黙の了解」があるかどうかを様々な方法でシュミレーションします。

このシュミレーションがうまければ、体が小さく弱くても子孫を残すことができるのです。

逆にこのシミュレーションが下手だったら、上位のオスの気持ちを読むことができず、上位のオスに殴られて殺されてしまうでしょう。

私たちが今、上司の顔色を伺って「怒っていないだろうか」「これを言ってもいいだろうか」とシミュレーションしているのと同じ様に、昔は上手にシュミュレーションすることが生き残る術だったのです。

今なら上司に変なことを言っても怒られるだけで済みますが、昔はこのシュミュレーションを外してしまうと、命を落としかねない状況だった訳です。

シュミレーションで相手の行動を的確に予想できることは、異性の獲得や食料の調達、敵から身を守ることも容易になるのです。

これを「知能」と呼ぶならば、人の祖先は賢いほど生きる確率が上がり、より多くの異性と交尾して子孫を残せたはずです。

チンパンジーは「心」という相手の心を映す鏡を持っているかもしれませんが、シュミュレーション能力は極めて限られています。

それに対して人は、未来をシミュレーションすることで社会集団の中でより有利な地位を獲得し、生存の機会を増やしてきたのです。

これは極めて強力な武器なので、自然選択によっていずれは群れ全体がこのシュミュレーション装置を持ち、相手の出方を読み合う様になるでしょう。

シミュレーション装置があるほど上手に生き残ることができ、子孫を残す確率が高まるのだから、自然選択によってシュミュレーション装置を持っている個体だけが生き残るのは当然のことです。

この複雑な相互作用から、自分や相手の内面が実体化したものを私たちは「心」と呼ぶようになりました。

人は物心ついた時から死ぬ瞬間まで、意識がある限りこのシミュレーションをひたすら繰り返しているのです。

仏教はこの終わりのないシュミュレーションを「煩悩」と呼び、修行によってシュミュレーションの回路を遮断し、心の静けさを得ることを目指してきました。

しかしシミュレーションが心の本質だとするならば、私たちはそこから逃れることはできません。

仏教では修行による解脱、すなわち煩悩からの解放を説くのですが、シュミレーション機能を停止させてしまえば、人はもはや人ではなくなってしまいますから、解脱というのは人類の理想であって原理的に不可能なのです。

つまり進化論的に言うと、どれだけ修行しても欲望は消せないということです。

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